「計算ミス」という大きな壁に、立ち向かう人にとって、次のような一般論は、ほとんど役に立ちません。
ミスの内容によって、どのように、どの程度「途中式」を書くべきなのか、判断すべき(アドバイスすべき)であって、ミスの内容もわからずに、ざっくりと「途中式を書きましょう」という一般論は、全く役に立たないことは明らかです。 そもそも、途中式が書かれていないのは、解き方の流れをしっかりイメージできずに、「書けない」場合も結構あるのです。 つけ加えて、「ていねいに」ということもよく言われますが、この「ていねい」とは、どの程度までのことなのかよくわかりません。さすがに自分で自分の文字を読み間違えたり、採点者が戸惑うような場合は、もう少ししっかり文字を書く必要がありそうですが、必要なのは「ていねいさ」というより「みやすさ」ではないでしょうか。 何が「みやすさ」の定義かといえば、誰が見ても「みやすい文字」で書くことでしょう。では、どうすれば「みやすい文字」となるのか、少しくらい文字が下手でも「見やすい文字」にするにはどうすればよいか。 それは、とにかく「大きな文字」で「ゆったり」書くことです。関連した内容は、、「A4サイズの用紙を500枚用意する」をご覧ください。 |
しかし、これが果たしてミスを防ぐ手立てとして有効でしょうか。2週間後のテストでも、同じくミスなく正答できるでしょうか。 そもそも、なぜミスしたのか、その部分は改善されているのでしょうか。徹底的に繰り返すことによって、ミスにつながった解き方は、そのまま残されているのに何とか正解にたどり着いているとしたら、問題は残されたままです。 間違えた問題に対する見方や考え方、処理の仕方を正しく修正した上で、他の類題にチャレンジする、これは当然必要なことです。そして「どこをどう修正すべきか」を明らかにすることこそが最重要ポイントなのです。 しかし、ただ「豊富な問題量をこなす」「徹底的に繰り返し慣れる」というかけ声だけでは、かなり効率の悪い学習方法になってしまうことを忘れないでほしいと思います。 |
今これを読んでいて、計算ミスで悩んでいる皆さんであれば、上のような「言葉」の無力さを十分知っているはずです。 10個の異なる計算ミスに対しては、10の異なるアドバイスを語るべきであって、どんな計算ミスに対しても、通用しそうな「言葉」、もっと言えば、たぶん世の中の○○ミスすべてに使えそうな「言葉」が、計算ミスという大きな壁に立ち向かえるはずがありません。 |